前回のブログを読み返していて、
「人と繋がりたい欲求」は「こだわり」ではないのか、という考えが湧いてきました。
人は繫がりを求めて悩み、苦しみ、古い自分から新しい自分を生み出して生きています。
今その繫がりが強制的に止められてしまい、「当たり前」がこんなにも簡単に覆ってしまいました。
前回書いた「繋がり」さえ手放すことができたら、それこそ本当の自由を感じられるのではないかと考えていました。
繫がりが途切れてしまった
と感じた気持ちに浸っていると、
繋がりたい気持ちが自然と湧いてきます。
繋がれない悲しみを実感することも、
繋がりたい気持ちを実感することも、
自然なことで、同じことでした。
どちらの気持ちも受け止めると、
どちらの気持ちも自然と離れていき、
心が落ち着いていくことを感じました。
私は自分で思っている以上に、
社会の変化に大きなショックを受けていたのだと知りました。
私自身、自分を守ろうとする自動スイッチには、なかなか気づけないものだと実感しました。
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