自分の好きにしたらいい
嫌だったらしなきゃいい
そう言われても、選べる選択肢なんてなかったのだと思います。
それができていたらこうして悩むことはなかったのだと思います。
言葉の意味は理解できるのです。
でもその意味は実感することがないのです。
好きも嫌いも美味しいも痛いも
どこか他人事のようなものだったと思うのです。
なぜなら、どれもこれも
「そうだね」って一緒に共感してもらえたことがないから。
好きなことを好きと言っていいのか、
嫌いなことはしなくてもいいのか、
痛いことは我慢しなくてもいいのか、
小さい頃から教えてもらったことがないからです。
小さな子どもが感じること全てを許されずに生きている辛さは、想像をはるかに超えてゆきます・・。
これらの事実をもっと早く知りたかったと、悔やまれてなりません。
そうしたら、分かったつもりで無意味に傷つけることは無かっただろうと思うからです。
過ぎ去った時間は戻らないですが、これからの時間は違います。
出会える人の数は限られています。
苦しみを抱える全ての人と出会えるわけではありません。
私にできることはとても小さなことです。
それでも、これからは、出会った人々を大切にしていけるように、これからも学び続けます。
私自身「それしか出来なかった」ことにならないように。
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